宗教法人日蓮宗平井山 妙広寺

宗教法人日蓮宗平井山 妙広寺 【岡山市】

Tel:086-277-8302

岡山市平井にある妙広寺は700年以上の歴史を持つ日蓮宗のお寺。お気軽にお立ち寄りください。

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岡山市平井にある妙広寺は700年以上の歴史を持つ日蓮宗のお寺。お気軽にお立ち寄りください。
妙広寺の歴史

妙広寺の歴史

妙広寺とは イメージ

妙広寺とは
平井山妙広寺は、
岡山市中区平井7丁目6番54号
(旧、備前国上道郡平井村字平井)に
所在し、境内千余坪を有する
日蓮宗寺院です。
 
1375~1378年 南北朝時代の永和年間(1375~8)の開創で、開山は本山京都妙覚寺から下向した龍華院日実上人です。
当初は、法華山妙実寺と称し、現在地より北の神道山辺り(亀山辺りとも)元平井にあったともいいます。
1532年天文元年(1532)3月の讃岐大地震で倒壊し、天文18年には火災により堂宇霊宝等を焼失しました。
1559年 永禄二年(1559)、常住院日教上人(十四世中興)が領主平井助之進の寄進を得、現在地に移転して平井山妙実寺として再興しました。
1588年 天正十六年(1588)には、本山妙覚寺からの指示で寺号を妙広寺と改めました。
天正年中天正年中、中興第二世日頼の弟子の日祥は、同村に沖邑山妙楽寺を建立し、妙広寺の末寺としました。
江戸時代前期 江戸時代前期の動向は不明ですが、諸堂安置の諸尊像には延宝など十七世紀後半の銘をもつものがあり、近郊の新田開発に伴い、このころより寺運隆盛に向かったようです。
1722~1731年 二十二世(中興九世)円了院日現上人代の享保六年(1721)頃には、現本堂が新 築再建され、享保十六年(1731)には鐘楼門が建てられました。
1753年 宝暦三年(1753、二十四世日法上人代)には客殿庫裏が新築され、ほぼ現在の寺観が整いました。
江戸後期 江戸後期には、二十九世日愍上人代の寛政年間に諸木像の再興や法界碑・手洗い石などが作られ、ことに目立った活躍をされたのは三十世仏事院日響上人(さんじゅっせいぶつじいんにちきょうしょうにん)で、文化二年(1805)には寺宝の大曼荼羅を感得し、文化十年(1813)正月に頓写講を組織して寺院経営を整え、同年七月には本山妙覚寺より聖人号の許可を得、三十五世日遂上人代明治十七年、本山より永代緋金襴袈裟着用の許可を得ました。
明治25年、39年明治二十五年には鎮守堂、明治三十九年には庫裏離れ座敷が新築されました。
昭和中期・後期近年では昭和四十二年に庫裏宮殿の改修、昭和四十七年に祖師堂の新築、昭和五十五年に宗祖七百遠忌記念として渡り廊下の再建、諸堂庫裏の改修、庭整備などが行われました。
平成2年、3年 平成二年正月より、立教開宗七百五十年(平成十四年)記念事業として諸堂屋根瓦 葺替を中心とする「平成大改修」が始められ、平成三年六月に落慶法要を厳修。
十八世紀前半から中頃にかけての主要な建築を残したままで寺観を一新し、現在に至ってます。
 
宗祖:日蓮大菩薩/比企・池上両山祖:日朗菩薩/京都妙顕寺祖:日像菩薩/
妙顕寺二世・岡山開教祖:大覚大僧正/妙顕寺三世:大覚大僧正/妙覚寺四世・妙広寺祖:龍華院日実上人/妙覚寺四世・妙広寺祖:明珠院日成上人/妙覚寺四世・妙広寺祖:通源日霽上人

日実上人は紀州桃井氏の出身。
妙顕寺の大覚大僧正に師事し、備前に布教。
真言宗津島福輪寺を改宗させ、妙善寺を開く。
朗源僧都の寂後、若年の日霽上人が妙顕寺を継いだのを機に、
実弟の日成上人とともに妙覚寺を開いて別立しました。